ソフト面におけるこれほどの普及はネット以前にも以降にもないと言えます。
それは、ネットには色々な可能性があり、使い方が一つではなく、また既存の使い方で終わらないと言うことが要因であろうかと考えています。
これからもネットの世界は発展し続け、衰退することはまず考えられないでしょう。
今や、ネットは遊びの道具だけでなく、仕事や学業においても必要不可欠なものとなっています。
現状でネットが止まれば、それはパニックと混沌を生み出し兼ねません。
それほど、ネットは人々の生活に根付いてしまいました。現在、ネットの危険性は大きく分けて二種類あります。一つは物理面において、二つ目は精神面においてです。
まずは、一つ目の物理面の危険性について話したいと思います。
1990年代初期はまだ、インターネットは殆ど普及しておらず、マニアがパソコン通信と言うものをする程度でした。
1997年辺りからようやく設備が整い始め、インターネットが知れていきますが、コンピューター自体も高額で一般的とは言い難いものでしたし、まだ電話線を介して行っている為、速度はストレスを異常に感じるほど遅く、利用に際しての価値観は見受けられなかったというのが事実です。
それが革新的に変わったのは、2000年前後に登場するケーブルとISDNと言う通信形式からです。
有線ではあるものの、データーを送る量が飛躍的に増え、速度が著しく速くなりました。
やがて、コンピューターも安価になり、初期状態でも充分な記憶容量と、メモリを持つタイプが出てきます。
それに呼応する形で、光ファイバーの時代がきます。
この双方の発展により、コンピューターは一家に一台と言えるほどの普及を遂げ、同時にインターネットも普及していきます。
しかし、光ファイバーは早く、大きなデーター容量を送信できる半面、常時接続と言う諸刃の剣でもあったのです。
常時接続は、侵入やウィルス感染に非常に脆弱で、ウィルスバスター系などのインターネット監視ツールが必要不可欠になってきます。
ですが、ウィルスは日々変化し、それに対応するセキュリティソフトと言った図式のイタチごっこであり、追いつかない場合は不幸にもウィルスにやられコンピューターを全損するケースや、私的な情報を抜かれると言った事態も頻発したのです。
現在は、ある程度の対応は追いついているものの、ハッキング技術も上がっており、密かに知らない内にプライベートな情報が抜き出されているかも知れません。
次に精神面における危険性に移ります。
これはインターネットの普及時から繰り返し言われている事ですが、少なくとも精神の育成途中にある年齢でインターネットに深く関わると、人格形成に良い影響は無いと言えます。
ネットは、どこまで言っても仮想現実です。
繋がった向こうに現実の人間がいようとも、ネットを介した時点で、それは現実と言えません。
ましてや、現実に知人同士が利用するならともかく、現実に接点の無いもの同士がネットを介して接触することは好ましいとは言えません。
仮想現実を仮想現実と理解し、受け止めて利用するのならば影響の方向性は変わってきますが、大抵の場合はこの区別がつかないのが現実です。
ネットで知らない人間と交流すると言うことは、自身も架空の自分になっている訳です。
人は、現実社会でも自分を飾ります。決して他者に全てを見せることはありません。
ネットの世界で顔が見えず、素性も判らないのであれば尚更で、それは当然の帰結とも言えます。
ただ、それだけで済むなら別段問題はありませんが、それで終わらないケースが殆どで、これはまるで憑きものとも言える現象です。
演じる架空の自分が徐々に現実を侵食してくるのです。考えても見て下さい。
芸能人達や著名人達が何故インターネットを通じて発言すると失言したり、失敗を繰り返すのか、既に大勢の同立場の人間が失敗しているにも関わらず、何故教訓にならないのか、それはネットの自分、現実の自分、著名人としての自分と3つの人格があり、使い分けが出来ていないからなのです。
ネットで成り切る自分は、恐らく人間にとって最も自身の望みに近い人物だと言えます。
普段、現実社会で他者と上手く話せない人間でも、ネットでは饒舌になれます。
本来の人間性は架空の場には存在しません。よって、架空の人物像に自分自身が慣れてしまうことで、現実の自分とは合致し得ない人格と融合しようとする訳です。
現実には、本来の自分と違う人間にはなれません。
そこに矛盾が生じ、より現実社会で生きにくくなるのです。
大人でも、ネット依存、ネット中毒になる人が後を絶ちません。
自覚の無い人は例え大人であっても記述した様な人格異常と呼べる状態になります。
それがましてや人格育成途中の年頃の子供であるなら、その被害は甚大です。
1億総インターネットの現代にあって、コンピューター教育は欠かせないのかも知れませんが、便利さだけや、現代の仕事において必須だからと言った面にだけ注視するのではなく、人格育成の面でも真剣に取り組むべきではないでしょうか。